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4月7日 金曜日 歓送迎会

Author: 雫石しま
last update Last Updated: 2025-07-03 10:26:00

今夜の歓送迎会は議会事務局長の挨拶から始まり、次はお待ちかねの新卒中途採用職員の挨拶と自己紹介、その中に彼女もいる筈だ。こんな千載一遇の機会は無いだろう。名前、住所を尋ねて同じマンションなら帰りのタクシーぐらい隣に座っても許されるだろう。

(LINE交換くらいはイケんじゃね?)

 近江隆之介はいつもに無く積極的で前のめり気味だった。ただ此処までは良かった。

(・・・・・くそ)

 久我議員が参加した会合が紛糾し、地元住民との話し合いの場が思いの外長引いてしまったのだ。ライトアップされた兼六園の夜桜のアーチを潜り抜け、黒いクラウンの公用車は金沢市役所に向かっていた。

「何よ、機嫌悪いわね」

「いいえ」

「そんなに待たせたかしら?」

「いいえ」

 いつもは暇を持て余し、ダラダラと運行記録簿をつける近江隆之介だったが今夜は違った。まるで別人の様に手際よく公用車を洗車し、運行記録簿を記入して警備室に走った。職員出入り口横のトイレで髪の毛を濡らしてパーマの縮れ具合を手直しすると、歯ブラシを取り出し口中を泡だらけにした。

(よし、行くぞ!)

「お疲れ様でした!」

 近江隆之介は両手で頬をパンパンと叩き、黒い革靴を鳴らして広坂大通りの夜桜ぼんぼりの下を走りに走った

 香林坊の三叉路の交差点で二の足を踏む。右折車線の矢印が歯痒い。

(早く、早く変われよ、おい!)

ピッポーピッポー ピッポーピッポー

 機械的な鳥の鳴き声が横断歩道の青信号を告げる。人並みを掻き分けて白い線を一段跳びに渡る。汗が滲む。

(なんか、あいつに会ってから、走ってばっかじゃねぇか)

 片町アーケード街。並んだ店先を一軒、二軒、三軒と数える。マクドナルドの斜向かいの路地、赤提灯に焼き鳥の匂いが香ばしい小さな十字路に飛び込んだ。

「あ、すんません!」

並んで歩く学生服の肩にぶつかり手を挙げる。

はぁ

はぁ

はぁ

はぁ

スーツのジャケットに脇汗を掻き、間口の狭い古民家風居酒屋の引き戸を開けた。

「ヘィ、らっしゃ〜ぁい!」

 ジャラジャラした暖簾を潜ると、威勢の良い掛け声が近江隆之介を二階へと誘った。黒い革靴を脱ぐと靴下の裏まで湿っぽい。黒い木製の階段をギシギシと上る。もう既に皆、出来上がっているのか声量がバカでかく、公務員にありがちな普段のフラストレーションを発散するような笑い声が飛び交っている。

(どこだ、あいつはどこに?)

 キョロキョロと辺りを見渡すと、出入り口に程近い座敷のテーブルに、議会事務局のジジィ共に囲まれ酒を注がれている彼女を見付けた。

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     カポカポと焦茶のローファーの踵を鳴らし、小鳥は沈んだ面持ちで金沢市役所の職員玄関のインターフォンを押した。眠そうな警備員の声。ガチャと鍵が開く。ネームタグを提示し、バインダーに氏名と入庁時間を記入。エレベーターはまだ動いていない。 7階までの階段を、一歩ずつゆっくり上る。 昨夜、近江隆之介が無言でベッドに滑り込んだ冷ややかな背中が頭から離れず、熟睡できなかった。今朝は隣の303号室の玄関ドアが閉まる音で目が覚めた。(顔、合わせづらいな) 物音を立てないよう身支度し、いつもより2時間早く出勤。ドアノブをそっと下ろし、ディンプルキーを静かに閉める。外廊下のザリザリした感触が、靴底越しに今の気持ちを映す。「なんであんなこと、言っちゃったんだろ」 木の質感とリネンのファブリックで統一された小鳥の部屋。壁際のアイアン調ベッドは異質だ。近江隆之介の暮らしが自己主張している気がする。過去の女性の存在がちらつき、どんな女性にどんな言葉をかけたのか、意味のない嫉妬が湧く。 あのベッドで誰かとセックスしたのかと尋ねた瞬間、近江隆之介の体が強張った。普通のことだとわかっていても、ショックだった。責めるような口調に返ってきた言葉。「お前、処女じゃねぇだろ」お互いさま。でも、そう口に出されると、心臓を鷲掴みにされ、頭を振られたような衝撃。 いっそ近江隆之介が初めてだったらよかったのに。今さら言っても仕方ない。「ふぅ」 廊下でゴミ回収のスタッフとすれ違い、軽く会釈。議員控室のドアノブに手をかけると、施錠されていない扉がギイと重く開く。やるせなさから逃れるにはちょうどいい。 給湯室の鏡には、やつれた目元が映る。(眼鏡に変えようかな)このまま開庁時間までボーッとするのももったいない。機械的にポットの蓋を開け、水道のハンドルを上げる。水が後悔のようになだれ込み、ポットから溢れ出す。「お前、溢れてんじゃん」キュッ。 背後から伸びた手がハンドルを下げ、グリーンウッドの香りが小鳥を包む。深い紺色のスーツから、白にグレーのストライプのシャツの袖口が覗く。「近江さん」「お前、起きたらいねぇし」「だって・・・」   振り返ろうとしても、近江隆之介の腕は力を緩めない。耳元で荒い息遣い。きっと自転車で桜坂を下り、鱗町の交差点を全速力で駆け抜けてきたんだろう。近い。何度こうやっ

  • 隣の彼 じれったい近距離両片思いは最愛になる、はず。   微妙な朝 隆之介

    朝、目を覚ますと、隣のベッドに小鳥の姿はない。シンと静まり返った部屋。301号室と同じ間取りなのに、妙に広く、物足りない。「チェっ」 ボサボサの頭を掻きながら洗面所へ。小鳥の歯ブラシに水滴が光り、ついさっきまでここにいた痕跡。青い歯ブラシに歯磨き粉をニュルリと絞り、ガシガシ磨きながらリビングに戻る。 小鳥のベッドに触れると、まだ温かい。(うおっと)口の端から涎が垂れそうになり、慌てて洗面所に駆け戻る。 もし小鳥がいたら、「濡れちゃいます! 変なことしないでください!」なんて小言を食らっただろう。その賑やかさが、今はない。 ガランとした空虚を背に、顔を洗い、ブルブルと振る。顎に手をやる。(ひでぇ顔してんな)目の下が黒ずんで見える。姉ちゃんに見られたら、「不摂生」「自己管理できてない」と嫌味を浴びせられそう。「マジ、俺アホか」 10歳年下の恋人の言葉にムキになって、不貞腐れて寝ちまった。自分の阿呆さに気分は急降下。「余裕、なさすぎだろ」 壁の時計は6:30。 コーヒーでも淹れるかと、ヤカンで湯を沸かす。シュンシュンと湯気が上がる。振り向けば、食器棚の二段目。グリーンとオレンジのマグカップが並んでる。白い丸いフォルムに、黒いくちばしと羽根。「俺がシマエナガとか、マジありえねぇし」 苦笑いで口の端が歪む。青椒肉絲の具材を買った《ついで》に、小鳥がこの黒い箸とマグカップを選んだんだろう。店頭で悩む小鳥の姿が目に浮かぶ。(それにしても、こんな朝早くどこ行ったんだよ) マグカップを持つ手が止まった。(まさか市役所?) 近江隆之介はガスコンロの火を止め、グレーのルームウェアを脱いでドラム式洗濯機に放り込んだ。

  • 隣の彼 じれったい近距離両片思いは最愛になる、はず。   嫉妬のち初めての喧嘩②

    チーン。 電子レンジで温めた青椒肉絲が湯気を上げる。小鳥は近江隆之介の前に黒い箸を置く。小鳥模様の短い箸じゃ食べにくいだろうと、百貨店で買ってきたものだ。「何、この箸、どした?」「か、買ってきました。ピーマンと豚肉の《ついで》に!」「ふぅん、ついで、ねぇ」「なんですか、その顔」「サンキュ」「いえ」 プシュ。 二人でハイボールのプルタブを開け、グビグビ飲む。だが、小鳥の胸のモヤモヤは消えない。このモヤモヤをどう晴らせばいいのか。「なんか言いたそうじゃね?」「そうですか?」「うん、そんな顔してる」 ダメだ。全身からモヤモヤが滲み出しそう。ここは直球で聞くべきか。でも、直球ってどの辺が直球なのか、微妙だ。「これ、うめぇ」「あ、味付け濃くないですか?」「んー、ちょい濃いめかな」「次は薄味にします」「すんません、正直で」「その方が助かります」 小鳥は缶を両手で持ち、チビチビ飲む。舌先にヒリヒリ。土曜の夜、激しいキスで傷がついたのかも。(は、激しすぎ)「何、もう酔った? 真っ赤だぞ」「つ、疲れたのかな」「無理すんなよ」「あ、はい」   ううむ。モヤモヤが止まらない。近江隆之介が「ごっつおさん」と手を合わせ、キッチンで皿を洗う。ハーバルミントの洗剤の香り、流れる水、背中。抱擁妖怪の気持ちが少しわかった。「うおっ、な、何!?」 気づけば、小鳥は近江隆之介の背中に顔を埋め、腕を腹に回していた。「な、何」「近江さん」「お、おう。洗い終わったから離れて」「やだ」「やだ、って。このままじゃ顔見えねぇし」   腕を振り解かれそうになり、小鳥は力を込めてぎゅっと抱きしめた。近江隆之介の手はビシャビシャ。シンクの縁に当たり、ルームウェアの裾が濡れる。ジワリと冷たい。「ちょ、冷てぇし」「近江さん」「何、500円徴収するぞ」 一呼吸。「近江さん、あのベッドで他の人としましたか」「は?」「セックス、したんですか」「あ、っと」   近江隆之介の体が強張るのが腕から伝わる。モヤモヤは少し晴れたが、今度はムカムカが顔を覗かせる。彼の喉仏がごくりと動いた。「やっぱり、してますよね」  小鳥は腕を解き、ペタペタと歩いてリビングの床にペタンと座る。フローリングを見つめる瞼。表情は見えない。「こ、小鳥」 近

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